2006年10月12日木曜日

谷田昭三君は貧しさに気がおかしくなって自殺した

所得に応じて子どもの勉強時間が変容するのだという。
そうだと思う。でも、私は例外を知っている。

私は、夜、ポツンとお酒などを飲みながら泣きたくなったりするときは、必ず谷田昭三君の名前を思い浮かべて泣く。

小学校の4年生かそのくらいで彼は転校してきた。初めて教室で紹介された時、痩せてお古のツルツルテンの制服を着ていたことで、皆がびっくりした。その時のテレビに出てくるような転校生登場のシーンは今も思い出すことができる。

彼は、見るからに貧しそうな子だったのである。 もう私たちの頃には、貧しいとはいっても、見るからに貧しそうな子なんて、そんなにはいなかったのだ。

遠足の時、彼がお菓子を「カッパエビセンとサイダー」だけだったのを今も覚えている。
300円とかそのくらいのお菓子代を額面いっぱいに買って、皆で楽しく分け合って食べたりする輪の中に彼は入れなかった。 その当時、もはやカッパエビセンは一番安い、あまり人気のないお菓子だったのだ。

私が「谷田君。私の食べや」と声をかけ、彼が本当に嬉しそうに「佐伯さんも僕の食べて」と差し出してくれたことも覚えている。

彼は本当にささやかに懸命に生きていた。そしてとても頭がよかった。
細かい内容は忘れたのだが、友達のイジワルなイヤミを見事にサラリとかわす言葉とか、そばで聞いていて思わず感動したことがあった。
感激屋の私が思わず谷田君に「私は絶対に将来谷田君の小説を書く。あなたは路傍の石みたいだ」と言ってしまったら、彼が「へへ」と笑った。その顔も覚えている。


彼は、お母さんと二人暮らしで、一生懸命に生きて頑張っていた。成績は常によかった。たぶん今考えたら参考書やそういうものもあまり持ってなかったんじゃないだろうか。

同じ中学に行っても彼は成績がよかった。 だから、少し大人しいけど彼をバカにするような人はいなかったと思う。だから、私は中学になると彼が貧しい家の子だということもあまり考えなかった。
先生の質問に誰も答えられなかったときに、彼だけが先生の予想をはるかに上回る証明を黒板に書きながら説明して、クラスがほ~っと声をあげて感心したこともあった。

しかし今考えたら彼は中学になっても常に痩せていた。

彼と私は異性だったのでそこまで仲良いということもなく、私も子どもだったので、彼がどんな思いで生きてきたかなんて考えることもなかった。

彼が職員室で進路を「高専に行きます」と言っていたのを聞いて、優秀でないといけないその学校にたぶん奨学金を受けて行くことを私は本当にいいことだと思った。

「ああ、谷田君なら必ず合格するよ。がんばってね」と声をかけたことを覚えている。

でも、全寮制のその学校で彼は寂しかったのだろうか。
 それから彼は1年ほどで、自殺したのである。寮の中で首吊り自殺したのだそうだ。

同じ高専に行った友達から、私は愛媛から大阪に向かうフェリーの中でそれを聞いた。

 「谷田、母親にラジカセ買えとか言うて怒ってタバコの火を押し付けたりするようになって、お母さんが悩んでいたらしいわ。それで、何か谷田が朝早く起きてニワトリのモノマネしたりして、おかしいぞ。言うとったんや」
 高専にはお金持ちの家の優秀な子も多くて、個室で自由にカッコよく暮らしている子もいたんだと思う。 彼はあと5年の辛抱がどうしてもできなかったんだと思う。

 それから、最悪の結末を聞いた。

 谷田君のお母さんは谷田君が亡くなって2週間後に栄養失調で死んだんだそうだ。

 今、谷田君のように悩んだ若者がいたら、私は本当に力になりたいと思う。 
 本当に今の時代に彼が生きていたら、どんなにか活躍していたことだろう。
 そして、悔しいのは彼が貧しくて死んだんじゃないと思う。 
 彼は孤独で寂しくておかしくなったんじゃないだろうか。 どうして、中学を卒業するとき彼に「何かあったら電話しておいでよ」くらい言ってあげられなかったんだろう。

 もう20年ももっと前にそんなことがあったのだ。

 私の中にいつも谷田君がいて、いつ小説を書くんだと私言う。 
 ごめん。谷田君。 私は小説なんか書く才能なかったから、ブログで書いたよ。

0 コメント: